細くねじれた白いつぼみが、一本だけ立っていた。
傘をきつく巻いたような形。先がくるりとよじれて、まだどこも開いていない。この花は、午後の遅い時間になってから開く。それまでは、ただの白い筒だ。
草を分けて、緑のまんまるが近づいてきた。
手のひらにのるくらいの生きもの。背中に薄いクリーム色のはん点、おなかだけが白い。首がなくて、まんまるのてっぺんから葉っぱの形の耳が二枚、垂れている。モッチャルだ。
地面には、モッチャルとぴったり同じ大きさのくぼみがあった。そこへ草がねているすじが続いている。何度も通った跡だ。
モッチャルは探しもせず、すぽんと収まった。すきまが一つもない。
――きょうも、きた。
少し離れた原っぱでは、仲間たちが白いシロツメクサに顔をつっこんでいた。五ひき。みんな同じ形で、同じように背中だけ見えている。
モッチャルは、片方の耳をぴんと立てて、つぼみのとなりに並べた。どちらが高いか、見くらべている。
――きのうより、ちょっとだけ、おおきい。
まじめな顔だった。まじめだから、おかしかった。
おなかが、きゅう、と鳴った。体が一度、すとんと沈む。
モッチャルは、仲間たちのほうへ半歩だけ体を向けた。前あしが一本出る。けれど足のうらは、地面から離れなかった。
出した足のま下に、群れからはぐれた白い花が一つだけ咲いていた。足は、その手前で止まった。影だけが、花にかかった。
モッチャルは、くぼみに戻った。
空から、水色のまんまるが落ちてきた。
パタウキだ。小さな翼をいっしょうけんめい羽ばたかせている。羽ばたいても、ろくに浮かない。
つぼみの真上にさしかかったところで、ぼとりと落ちた。
モッチャルはあわてて体をひろげた。壁になるつもりだった。けれど、まんまるの体では横しか守れない。上はどうにもならない。
パタウキはつぼみのすぐ横に落ちて、ばつが悪そうに転がっていった。
つぼみは無事だった。モッチャルは胸をはってすわり直した。
――ぼくが、まもった。
*
こんどは、炭色の小さいのが降りてきた。
スワリコ。モッチャルの三分の一しかない。すきとおった丸い羽と、細い触角が二本。この草はらでいちばん、人の言うことを聞かない。
スワリコはつぼみにとまって、触角をぱっと横にひろげた。ほとんど水平の、大きなVの字。
モッチャルは体を同じ高さまで下げて、両方の耳を、同じVの字にひろげた。
これがこの生きものの言葉だった。相手の耳の角度を、自分の耳でまねる。同じ角度になれば「わかった」。
モッチャルは、話しかけていた。
スワリコは動かなかった。
モッチャルはもっと大きくVをひろげた。短い足で背のびをして、耳の先がふるえるほどに。
スワリコは、そっぽを向いて触角をといでいた。
*
三つ目は、下から来た。
うすむらさきの、指のさきほどのまんまるが、列になってやってきた。プチムレだ。一ぴきでは何もできない。だから、いつも数で来る。
つぼみの茎に、ぞろぞろとのぼりはじめた。
モッチャルは前あしで払った。三びき落ちた。そのあいだに七ひきのぼった。払う。落ちる。のぼる。
どうにもならなくなって、モッチャルは自分から転んだ。あおむけになって、短い手足を四本とも空へ向けてじたばたさせた。白いおなかが、緑の草はらでたった一つの明るい色になった。
プチムレたちは、のぼりきったあと、すぐ飽きて降りていった。
モッチャルは、あおむけのまま、それを見ていなかった。
*
日が低くなった。影が長くのびている。
モッチャルはくぼみに戻ってすわっていた。
つぼみに、たての切れ目が一本入っていた。巻きが、ひとまきぶんだけほどけている。
垂れた耳の先が、一センチだけ持ちあがった。
地面が、ゆれた。
モグノッソだった。
砂色のまんまる。モッチャルの三倍はある。頭に小さな角が二本。口を止めることなく、ずっと草を食べながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
悪気はない。生まれてからずっと食べているだけだ。
その進む先に、つぼみがあった。
モッチャルは、つぼみの前に体を投げ出した。両方の耳を横いっぱいにひろげて、通せんぼをした。
モグノッソは、気づきもしなかった。
モッチャルは体ごとぶつかった。ぼす、と鈍い音がして、跳ね返された。もう一度ぶつかった。また跳ね返された。
モグノッソの足は、止まらなかった。
*
モッチャルが、止まった。
体をそらして、つぼみのほうへ向き直った。首がないので、顔だけよそへ向けることはできない。
それきり、動かなかった。
*
草はらのはしから、ずっと見ていた子がいた。
人間の子どもだ。手を出すのが遅い子だった。見つけても、すぐには触らない。しゃがんで、じっと見る。
三回失敗するのを、ぜんぶ見ていた。
子どもは立ちあがった。
モグノッソを押しのけようとはしなかった。押せる大きさではない。
かかえていた白い花のたばから、ひとつかみを抜いて、モグノッソの鼻先の、少しだけ横に置いた。
モグノッソの口が、そちらへ向いた。
そして、進む向きが変わった。
力ではなかった。ただ、そちらのほうが近かっただけだ。
*
モッチャルは、動かないままだった。
つぼみが、ほどけはじめた。
ひとまき。ふたまき。白い花びらが五まい、ゆっくりと外へひらいて、平たい円になった。
モッチャルの体が、上へのびた。のびて、花のほうへ前に傾いた。両方の耳が、顔の前まで流れていった。
そのまま、動かなかった。
子どもの手から、力が抜けた。かかえていた花のたばが、草の上にぱさりと落ちた。置いたのではない。なぜ摘めなくなったのか、この子にも言えなかった。
開いた花のほうへは、手を出さなかった。
*
うすむらさきの列が、草のあいだを通りかかった。
先頭の一ぴきが、開いた花にのぼった。
のぼって、すぐ降りた。
あとの十一ぴきは、そのまま通りすぎていった。
*
夕方の空は、うすい桃色をしていた。まだ暗くない。夏の日は、七時ちかくまで明るい。
草はらを見わたすと、あちこちにまんまるの緑が転がっていた。みんな同じ形で、同じ色をしている。
どこかで、長い息の音がした。
ふぃ〜。
子どもは顔を上げて、音のしたほうを探した。
けれど、見つけられなかった。
どれが、さっきの子なのか。
もう、わからなかった。